でも。僕は「これは成熟と喪失の青春小説ではまるでない」はカウンターにしたって大振りすぎだろ、と思ってるわけですね。
えーと、世間で青春小説青春小説と言ってるからそれだけでいいんかい、と言う事で「まるでない」なんてカウンターを打ちに行ったわけですが。
大振りと言われれば確かに大振りですが、目を瞑って打ったわけではないので、テンプルを打ち砕けはしなくとも、とりあえず前に出てくる足が一瞬止まってくれるくらいの効果はあるんじゃないかと。
である、と言う事の魅力が精一杯に発揮された一つの傑作。
てのは”人間讃歌である事の魅力が精一杯に発揮された一つの傑作”という意味です。”である”と”けれど”の関係の話とかよくわからん以前にしてないつもりだったんですが。この場合の人間讃歌は人類どんどん前に進んでるよすげくねえ? かっこよくね、人類、というような話、という程度の意味です。
人類じゃなくて科学者・技術者・政治家なんかのハイスペック人間だけだろ、という批判はその通りだと思います。
量と質、としてしまうのは大雑把過ぎると思うけれど。
上巻を読んだ時はあのエピローグがないものと思っていたわけでして、それだと新城カズマっぽくないなあ、と。新城カズマはでっかいビジョンを打ち出し前向きなメッセージを発したがる作家だと思っていたので、書き込みは緻密だけどこじんまりしてるし後ろ向きだなあでっかいビジョンと前向きメッセージ我慢してるんじゃないの、と思ったという話です。
手間隙はかかっているけど本当に言いたい事を言っていない、と。
それを本気の量と質、と言ってみたのは、えー、正直奇態な物言いがしてみたかっただけ、と言うか、
やったぜ本気だ新城カズマすげーっ!を受けていなくはないのですが、まあ粗雑ですよね。
『サマー/タイム/トラベラー』自体は生臭い、というか、スキャンダラスなお話でもあるとは思います。
奇態な物言いとか半端なレトリックとかは自分の首を絞めるなあ。