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四季折々のへんじゃぱ

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2005.08.23 Tuesday

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ライトノベル評論宣言予稿序説予告

2005.07.22 Friday 18:18
 ご紹介いただきました。
 えー、まずはお詫びしなければならない、いや、お詫びはしなくてもいいかなと思わなくはないんですが、補足しておきますと、あそこで言う「常識」は論文などで「周知の事実である」とやって微妙にごまかす時の用法です。
 ちょっと考えれば分かるよね、というくらいの意味に受け取っておいていただければ。
 あと、上遠野氏や古橋氏がSFコンテストがなかったから仕方なく電撃に行った、というような意図はまるでない、と言うか、SFM/ハヤカワJAの側が門戸を閉ざしていたがために彼らにこっちも出しておくか、という気を起させる事に失敗したというように読んでいただいた方が。なお、ラノベ作家が結構SFコンテストを目指していたという実例。

 それはそうと、前回あまり展開できなかった何故彼らの特異な作風は受け入れられたか、のあたりをもちっと。
 ライトノベルの最も重大な問題はキャラクターではありません。世界観です。という言い方が現代も通用するのかどうかに疑問はなくはないですが、『スレイヤーズ』ではじまった近代ライトノベルとはそういうものです。
 世界観、と言うのは無論あの意味での世界観、こういうとみーにぃには怒られるのだけれど、例の手からビームが出る理由の差異化ゲーム、結構悪めの意味でのジャンルファンタジーな世界設定であります。
 この「世界観」をもっと一般的な語彙における世界観に変質させる過程が、近代ライトノベルに於けるストーリーラインの眼目になるわけで、そこで必要とされるのが世界を観ずる主体、すなわちキャラクターであります。
 昔、川上稔はセカイ系だ、だってキャラクターの努力でセカイが変わっちゃうじゃん、と主張する人を見た事がありますが、まさにそれが世界設定を世界観にする、という事であり、キャラクターの変質により観ぜられる世界が変わって見える、というのはこれは『未来にキスを』椎奈シナリオなど引くまでもなく当たり前の話であります。
 それはきちんと睡眠をとれば何てことない日光が徹夜明けだとあんなにも眩しい事とパラレルっつーかまあ、そういう感じです。
 テクニカルな話をすれば、世界設定の開示のタイミングと、それに対する観じ方の変化のタイミングをどうするかのさじ加減こそがライトノベルを評価する時の軸になる、という事です。
 イヤな言い方をすれば、「ボクもあんなヒーローみたいにかっこよくなりたい」という願望ではなく「セカイがボクの思うがままだったらなあ」という願望が反映されているという事ですが、まあそういう安易な反映論は安易なのでどっかに蹴って置くとして。
 この評価軸は、世界をどのように設定するか、についてはかなり寛容なのではあります。それがこの現実を反映している必要はないけれど、してはいけないという決まりもない。
 ここで、寓話的に、あるいは直截に世界像を問う、というSFの最もスペキュラティヴな部分がライトノベルに輸入されうる根拠が生じるのです。ガジェットだけを輸入した例とした『星くず英雄伝』は挙げておきますか? あとがきのスペオペでSFじゃない宣言は結構兆候的です。
 世界設定-世界観・キャラクタの相互作用がライトノベルの眼目である以上、『ロードス島戦記』が半分ライトノベル以前で、五代ゆうが半分ライトノベル以下という事も自然に理解されるかと思います。残りの半分は何かっていうと本格ファンタジーって奴です。
 本格ファンタジーでは世界を設定する事は求められても、それを観ずる事は求められない。本格ミステリは世界を設定する事は求められず、世界を観ずる事だけは求められる。
 世界を設定し、観ぜよ、という二つを兼ね備えているのは本格SFだけであって、ライトノベルが本格化する時は、必然的にそちらへ行く事になります。
 で?
 あー、うん、まあ、それだけ。
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来るべき大川上稔論のために。

2005.06.18 Saturday 06:44
 俺は書かないので、誰かこのエントリをパクるがよい。
 しゃあ「キョウハクDOG`s」の気恥ずかしさは川上稔作品の気恥ずかしさに非常に似ている。なんつーの、XX王国へようこそ国王のXXです的ウェブサイト様の気恥ずかしさ。
 学園(業界用語)内階級構造、というのはまあ、ある、と観念されうります(金やん用語)。
 観念されうる、という事と、ありうる、という事には無限の距離があって、その距離に対して非常に無自覚なんじゃないかと。つまりある部分においては学園生(業界用語)の立ち位置系的自意識が生んだ極めて個人的なイルージョンでしかありえないはずの階級構造の内実が確定的なものとして教師にまで周知されている、というその不自然さ或いはそれを自然であるかのように語る騙りのイデオロギッシュなありよう。図式的で荒唐無稽、と申し上げてもよろしおすか? それがリアリティを帯びているかに思えるのならば、そこにはイデオロギーの関与がある、というのは短絡ですかそうですか。
 「キョウハクDOG`s」にのみ関して言えばそこにあるのはねこバス亭のしゃあのやる事に間違いのあろうはずはあんめえ、という読者からの信頼だけどね。なお、二次創作ってのはイデオロギー空間内でのくねくねですからして、図式的で荒唐無稽である事、はむしろ歓迎されます。あそっかウチのボスの本てそれで売れてたんか。「帝王」で言えば対極にいるのはやっぱりどこぞの神伝奇で、ディティールと図式が裏切りあう緊張関係が作品に強度をもたらしている、と思います。
 じゃあ川上稔の場合どんなイデオロギーに?
 それがわからんからアレしとんじゃい!
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らぶいずぶらいんどがーでぃあんえんじぇるこっぷ

2005.05.26 Thursday 13:20

 んーと、彼女の仇敵たちの振る舞いが意図と無関係に断罪されるべきであるのならば、彼女の行為をその意図をもとに擁護する事ができるのかしら? それはダブルスタンダードだよ。それとも「いじめ」のラベリング一発で突破してみる? それは彼女を子共扱いする事に他ならないけれど。いやしくも一人前のネットバトラーなら仇敵本人もその取り巻きも一対一で各個撃破してみせろ、という話だからね。
 あと、ダブルスタンダードって事を言うのならば、今回の君自身の振る舞いが非常に党派的なそれである事の自覚はあるかね? 彼女は羅川真理茂でも浦賀和宏でもないのにkosekei君を批判する、それはまさに義憤の発露なのではないかな? kosekei君ではないkiya君が彼女を批判するのはそれと全く同じ構図だろう。前者を君が批判せず、後者を君が批判する、それが正当化されうる根拠は一体どこに求められるのか。彼女と恋人同士である事――党派性以外に。そう言う時に公平性の観念よりも舐めたいおまんこを優先するタイプで君がある事は重々承知なんだけれど。
 俺のこのエントリが党派的かどうかと聞かれたら、うーん、わかんない。俺個人としてお前の言ってる事はおかしいと主張しているつもりだけれど、お茶会〜TMR周辺の彼女に悪意を抱いている一派の手先を無意識に務めているのではないかといわれれば、違うとは言えない。言いえない、原理的に。ただ、そのような党派性を考慮に入れようと入れまいと有意義な事は言えていたい、と思ってる。

 なお、本当にタイマン張りたいんなら盃返してからじゃないの、とは思うんだ。代紋見せびらかしながら一対一の男の勝負だったってそれは当然通んないよ。
 具体的には面白い感想が書けていない事とマスターベーションに励まなければならない事の間の理路をきちんと説明しろと言う事です。言明レベルでの理路が通ってないからこそ代紋=文脈を補填しないと読めない=カテゴリー批判に読めてしまうわけだからさ。
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電波男はまだ読んでない。

2005.03.22 Tuesday 01:57
昔資本主義の外部としてのファイル共有というお題目を考えた。このへんのお話。
 論理的な繋がりは結構遠いので各自補完よろしこ。別にファイル共有を推進する意図とかはまるでないので誤解なきように。
 まあ、ファイル共有はおいておくとしても、オタク資本主義は恋愛資本主義よりも無害ではあるでしょう。リアル人間を商品化しないからね。
 二次元というソリューションですら届かない層があるからといってそのソリューションを否定できるのかって言ったらそれは無茶な話であって、それで救われうる層はそのまま救われておけばいいと思う。Kさんが言ってるのはオタクは一番不幸な人間ではないから救われる価値もない、という事に結局はなるのではないかしら。それはなんかヤバすぎる論法よね。
 なんにもなんににも期待しないで気楽にいい加減にやっていけばいいんだと思うわ。
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本当に期待してるんだよ?

2005.02.07 Monday 03:41
 望月さんの言っている事はもっともに思えるのだけれど、そのもっともに思えるというところに罠がある、というのが多分一番いい反論だと思います。(挨拶)

 望月さん細野さんのアレ。議論全体を見て思った事なのだけれど、トラックバックは関連する議論の最新のそれに。
 相変わらず何時まで待っても本論がはじまらないので、前提的な部分をちろっと。
 何故東浩紀は実証をしないのか。する能力がないからか。
 そんなわけはあるまい。そんな散文的な作業はそもそもセンセイその人がする必要はなく、データマンとして学生バイトの1人も雇って一流評論家とのコネクションを餌に格安でやらせればいいのであって、その程度の財力はあれだけ売れている文筆家にならばあるだろう。
 東浩紀が実証的な研究をしない事には、積極的な意義がある、と考えなくてはどうしたっておかしい。そこには、実証的な研究法、科学的な言辞への批判が含み込まれていると考えるべきなのだ。
 つまるところ、そこにあるのは自身の発言の政治性への高度な自覚である。政治的な発言でしかないものを、そうでないかのように偽装する=科学的な装いを施す=象牙の塔アカデミズムの手法をとる=実証する=第一世代オタク的薀蓄主義を信奉する事はすべて否定されなければならない。
 それならそうと言えばいい、という批判はありうる。自分は政治的に発言しているので実証的な事とはそもそも無縁なのだ、と。
 しかし、このような発言は、象牙の塔アカデミズムを裏側から聖別する言辞に必然的に堕ちるのであって、従って実証的な態度を取る事と同じ意味しか持ちえず、東浩紀が否定しなければならないものを肯定する結果に繋がるだけだ。
 東浩紀が行っているのは敵を名指しえない闘争なのだ。
 名指していないものへの攻撃なのだ。
 東浩紀は評価しないものに、基本的には言及さえしない。その姿勢を徹底している事はもっと注目されていい。

 従って、『動物化するポストモダン』を声優・声優ファン差別の書と読んだ俺は正しい、と言えるわけだけれどそれはまあ完璧に余談。
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いつでもないとき、どこでもないばしょにない。

2004.12.28 Tuesday 02:38
 岡野勇のアレ(http://www2u.biglobe.ne.jp/~captain/sub1_246.htm)とかなんか反応したかったのだけれどダルいのでやめます。
 オタクが善いという前提にあまりに無自覚でどうしたものかっていうか『オタク学入門』を大きく見積もりすぎっていうか、つまるところ悪質なマニアをライト層と呼んでるだけっつーか、オタクがみんな思考を停止しなければ物事が良い方に転がる的な神の見えざる手信仰みたいのがどうしたもんか。
 あと、オタクを十全に定義してしまった事によりライト層が却って不明瞭な存在になっていたり。
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うーん、

2004.12.24 Friday 03:24
細野さんの望月さん批判開始のはず?
 わざとやってんのかな、この人は。
 「さて、いよいよ望月さんに対する批判を開始したい。」と言いつつまだ全然はじまってねえ。何度も発売日を変更するタチの悪いエロゲメーカーじゃないんだから・・・。

 まだはじまってもいないものに何も言う事はあるはずはないのだけれど、東浩紀の批判者に極端に女性が少ない理由って女性については言及してないから言及されていないってだけなんじゃないのかな。それから業界の男女比、つまり東浩紀に有効な批判を加えうる母集団の規模。
 男性オタクの偏った視点からは間違って見える東理論が女性の視点からはそうではないという事なのだって方向に持っていきたいのだろうけれど、それは果たして論証出来るのかしら。女性の批判者が有意に少ないと本当に言えるのかどうか。
 あと、自分が詳しくない隣接分野について、専門家を呼んできて寄稿してもらう/対談・鼎談を行うというのは誰もがやってる事と違うのか。
 何が何でも東浩紀はクソだと主張するものではまったくないどころか東浩紀は優れた部分を多々持つ評論家だと思うのだけれど、現状から俺に予想できる範囲での細野さんの東浩紀擁護は牽強付会な議論に終始しかねない不安がある。
 そうはならない事を期待しますが。
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積層都市

2004.11.30 Tuesday 04:21
 前回の記事半々`sさんから反応をいただきました。
 あまり階層分化階層分化と言い募ると既成事実を作って利権を漁ろうとしているみたいで微妙なわけですが、そういう受容する側の多様性に目を瞑って内容の評価は売り上げに結び付いていないと言い切ってしまうのも不用意ではあるわけで。境界線を作り出す行為は権力的な振る舞いに他ならないわけですが、うーん、でもその境界線があるような気がしてならないのは無意識の権力欲とばかりも言えない何かがあると信じたい。
 言い訳終了。
 大衆ラノベ・本格ラノベ・変格ラノベとかいう区分を少し考えていたりします。『ラスト・ビジョン』なんかは、あと古橋秀之なんかは典型的な本格ラノベなわけです。
 『学校』の1が変格で、『学校』の2が本格で、『まぶらほ』が大衆、とかなんとか。
 明確な指標は難しいですがなんか色々分類して遊ぶと面白いかもしれません。
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当座しのぎ。

2004.11.27 Saturday 13:38
 続いた。
 わーいピンの打ち甲斐があったよー。
 流石に色々面白いのですが、とりあえず聞かれた事へのお返事だけ。あとでもっと書きます。
> 「世界観=手からビームが出る理由」って言い方はいろんな意味で頭悪いからやめようよ
 あう。確かにこれはご指摘の通り。分かってやってんだよってのはなんの言い訳にもなりませんな。

> CRPG云々は微妙にズレてる感じ。時期も現象も。むしろ「CRPGに限らず演出に走り出した」といった方が合ってそう。「CRPG的なものの頂点」って考え方はいろいろアレです。
 結構牽強付会な気はしてました。システムの差異化よりもストーリーの差異化が意味を持っていく時代、というようなアレなんですが。
 ガラハドの死がエアリスの死のようには語られていなかった事、とかですね。

> 「手からビームが出る」を言いながら「バトルもの」としての「スレイヤーズ」は話に出てこないの? 特に小説分野でのバトルもの。
 それはそれこそそちらにピンを打ったのがその辺の話をしていただきたかったからって奴で。

 本題の三つ目についてはのちほどじっくりじっとりと。
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さらに続く

2004.11.25 Thursday 13:23
 さらに続く。
 《スレイヤーズ》の第一部、『死霊都市の王』までは、あまり知られていない事ですが、まごう事なき和製異世界ファンタジーのマスターピースの一つです。
 中世ヨーロッパのマニアの人とかは言いたい事も色々あるかも知れませんが、じゃあお前らS-nery時代を知らない桑島ファンを見下す俺の立場が容認できんのかよ。できねえだろ。
 かようにさくっとマニアの人を無視すれば、《スレイヤーズ》は、少なくとも第一部は面白い。
 饒舌体なのにプロットがもたつかないのがエラい。その先の批評的な展開がお望みなら別に普通に読み込んでいけばいいと思う。予め善神が喪われた世界、とか。圧倒的な魔族に知恵と勇気で立ち向かう、とか。世界の階層構造とか。確固たる正義なんてないし世界は大きくて僕らはちっぽけだけど知恵と勇気を持って誇り高く生きていこう、という人間讃歌だよ、基本的に。
 で、第二部ではそのプロットワークの冴えが微妙に失せて、というのはつまりストーリーの駆動力となるべきキャラクター同士の関係性の構築に微妙に失敗していて、だからリナの軽口もキレがない。
 長さって言うのは必然的に主題を呼び込むんだけれど、その呼び込まれるべき主題を結局は作家が見出せなかった感がある。
 ここで《スレイヤーズ》のもっとも成功したフォロアーである《魔術師オーフェンはぐれ旅》を持ち出してニーチェとドストエフスキーを引っ張り出してくる事で第二部終盤を骨太な思想小説(?)に仕立て上げる事に成功して云々かんぬん、とやってもいいのだけれど信者の繰言になるのでやめておく。
 続けたい。なんとはなしにピン。
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