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新月お茶の会『ライトノベルの憂鬱』

2005.02.07 Monday 07:00
 アイアムは参加していないのですよ。
 御馴染新月お茶の会の冬コミ新刊。

 まずは批評の根本的な意義、という奴について。
 ここを理解していないとただの権威付けとかなんとか頭の悪い言説になってしまう。
 批評とは、まずもって読書体験を言語化する試みである。なんのために? まずは、そうしたいから。それから、同じ体験をした人の、自己再確認のお手伝いに。
 作品は透明な全体性を持つ。批評ジャーゴンで言えば、それは出来事なのである。
 であるからして、分節され言語化されてしまった時点でそのヴィヴィッドな内実は予め失われてしまうさだめにある。
 であったとしても人は語る生き物であり、その出来事をどこかへ落着させるための言葉を欲せずにはいられない。
 このような欲求に答えるべく試みられるのが批評である。その唯一の眼目は、以上に述べてきた事からも分るとおり、それが出来事のヴィヴィッドな内実を失わせているのだと知る事、自らを畏れる事であり、である以上、実践的には好きな作品については毎度毎度違う事を言う、という態度が求められる。異なった言説へ異なった言説へとスライドしていく運動、アニメーション、或いは漫画のコマのように、その言説と言説の間の虚無、そしてその虚無を走る動線の全体的なありようの上に、あの出来事、作品の透明な全体性が立ち上がる事を信じて。
 というような事を俺は当たり前の事だと思っていて、読み返さないとレビューが書けないと言う理由で「ほん」の原稿から逃げる人たちってなんなんだろうな、と思っていたんだけれど、つまるところ唯一的な正しさがあり、それは本文に書いてあり、それは作品を正確に代表しうる、という立場だったんだろうなあ。そら理解できねえや。
 そのような本質的な批評が読めなかった、という意味で完全読本もめった斬りもすごい! も俺には平等に価値がない。そういう批評を誰が今ライトノベルについて書けるのかなあ、とは思うのだが、現状でそう言うものがないからといってそういうものがありえないと考える事は早計であるばかりでなく愚かである。

 というのはつまり、君たちは何を書いていないのか、のお話。
 続く。
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