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2005.08.23 Tuesday

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冬コミの成果 別巻

2005.02.07 Monday 02:36
樋口正浩『白神崇拝・畜人屠殺』・無題イラスト集
 通販だけど冬コミ発行なのでこの項目に。
 前者は『家畜人ヤプー』のイラスト集、後者は作者が中学時代から綴り続けているという「アズラク」なる作品のイラスト・設定集。
 何故か評価者として指名されてしまったので、一応。

 『FSS』からの影響は「アズラク」の絵柄にしか正直感じられなかった。
 ただひとつだけ、その流れで指摘しておくのならば、男根が武器になるという発想が永野護とはまったく逆方向であることだろう。
 男根から睾丸にかけての形状が、刀剣の柄に見える、というのは第二次性徴を迎えた男子ならば誰もが思いつく事であり、永野衛もKOGのデザインにこの発想を取り入れている。
 このような発想において、股間に生えた状態の男根とは、いまだ引き抜かれていない、その力を発揮し得ない形態に置かれているそれだ、と言っていい。引き抜かれる事によってこそ力を発揮する、とは喪われる事によって力を発揮するという事であって、つまるところこの発想の根底には去勢される事への欲望がある、と言っていい。女装コスプレをNT誌上で公開し、主人公アマテラスの性別をどこまでも曖昧にする永野にそのような欲望を読み取る事は強ち誤りでもあるまい。
 樋口さんの描く女神たちの男根は違う。それは、股間に生えたままの状態で畜人たちを惨殺する凶器となっている。
 陰茎のあるものを男性と呼ぶとすれば、永野においては男性はそうでなくなる事によってこそ力を持つが、樋口さんにおいては男性は男性であるだけで力を持つのである。
 女神たちのゲルマン的に豊満な肢体を、女性性のあらわれとして見る事はだから、恐らくはあやまりなのだろう。「アズラク」の男たちの細く小さな体に対して、女神たちの体は太く大きく逞しい。そこにあるのはすなわち、陰茎を持った女性ではなく、完璧な男性なのである。
 畜人の多くは男性であり、包茎であり、短小であり、そして惨殺されている。これをもって男性抹殺・女性崇拝の書であると考える事は誤りである。
 ここにあるのは、女神に仮託された逞しい男性への憧れなのである。
同人誌 | comments(2) | trackbacks(0)

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2005.08.23 Tuesday 02:36
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コメント

>「アズラク」をFSSの文脈から離す
 細かい用語法のレベルでFSSっぽくない気がしました。
 永野護の用語法は騎士と書いてヘッドライナー、電気騎士と書いてモーターヘッドと言うような、当たり前な漢語に外来語の読みをつけるところ、時には法皇みたいなそのまんまな言葉を使うところに特徴があると思っていまして、「アズラク」はそういうのとは少し違うな、と。
 全体に、永野よりも節操があるような印象を受けました。

>中性性
 あー、そうですね。
 そっちの方が妥当する気がします。

>気に入った絵
 そうですね、どれもいいと思いましたが、あえて一枚といわれれば「アズラク」の方のすえぞうのような生き物の絵が好みです。愛らしい。
| かおる | 2005/02/07 3:17 PM |
 お忙しい中、御批評して下さりありがとうございます。
 「白神崇拝」の感想は私の2005/02/05の分析と一致していると思い嬉しくなりました。「アズラク」はFSSの文脈から離すといかがなりますでしょうか。
 あと、気に入られた絵や気に喰わない絵はありましたでしょうか。

追記:FSSにおいて非男性性、中性性が全能性の源であるというのはその通りだと思います。ただし去勢欲望があるとは思いません。
 ドラゴンが雌雄同性であること、多くの神々が一対であることを考えると、中性とは男女の力が合わさっている分化して人に退化していないという意味で(バランシェがカイエンに同様の答えをしています。人の男か女に「退化」させるだけだと)全能なのだと思います。
 物語の進み方としては、中性的で全能な天照が、ラキシスと真に一対になることで男性化し、その一対で新たにより大いなる全能性を獲得するのだと分析できるのではないでしょうか。ヘーゲルチック。
 妄言多謝。
| 樋口正浩 | 2005/02/07 12:40 PM |

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