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四季折々のへんじゃぱ

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2005.08.23 Tuesday

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本当に期待してるんだよ?

2005.02.07 Monday 03:41
 望月さんの言っている事はもっともに思えるのだけれど、そのもっともに思えるというところに罠がある、というのが多分一番いい反論だと思います。(挨拶)

 望月さん細野さんのアレ。議論全体を見て思った事なのだけれど、トラックバックは関連する議論の最新のそれに。
 相変わらず何時まで待っても本論がはじまらないので、前提的な部分をちろっと。
 何故東浩紀は実証をしないのか。する能力がないからか。
 そんなわけはあるまい。そんな散文的な作業はそもそもセンセイその人がする必要はなく、データマンとして学生バイトの1人も雇って一流評論家とのコネクションを餌に格安でやらせればいいのであって、その程度の財力はあれだけ売れている文筆家にならばあるだろう。
 東浩紀が実証的な研究をしない事には、積極的な意義がある、と考えなくてはどうしたっておかしい。そこには、実証的な研究法、科学的な言辞への批判が含み込まれていると考えるべきなのだ。
 つまるところ、そこにあるのは自身の発言の政治性への高度な自覚である。政治的な発言でしかないものを、そうでないかのように偽装する=科学的な装いを施す=象牙の塔アカデミズムの手法をとる=実証する=第一世代オタク的薀蓄主義を信奉する事はすべて否定されなければならない。
 それならそうと言えばいい、という批判はありうる。自分は政治的に発言しているので実証的な事とはそもそも無縁なのだ、と。
 しかし、このような発言は、象牙の塔アカデミズムを裏側から聖別する言辞に必然的に堕ちるのであって、従って実証的な態度を取る事と同じ意味しか持ちえず、東浩紀が否定しなければならないものを肯定する結果に繋がるだけだ。
 東浩紀が行っているのは敵を名指しえない闘争なのだ。
 名指していないものへの攻撃なのだ。
 東浩紀は評価しないものに、基本的には言及さえしない。その姿勢を徹底している事はもっと注目されていい。

 従って、『動物化するポストモダン』を声優・声優ファン差別の書と読んだ俺は正しい、と言えるわけだけれどそれはまあ完璧に余談。
痙攣的思考 | comments(0) | trackbacks(0)

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