嬉遊曲バナ
企画・原案・ディレクション・シナリオその他
通信販売中

HentaiJapanimation4seasons

四季折々のへんじゃぱ

スポンサーサイト

2005.08.23 Tuesday

一定期間更新がないため広告を表示しています

- | - | -

来るべき大川上稔論のために。

2005.06.18 Saturday 06:44
 俺は書かないので、誰かこのエントリをパクるがよい。
 しゃあ「キョウハクDOG`s」の気恥ずかしさは川上稔作品の気恥ずかしさに非常に似ている。なんつーの、XX王国へようこそ国王のXXです的ウェブサイト様の気恥ずかしさ。
 学園(業界用語)内階級構造、というのはまあ、ある、と観念されうります(金やん用語)。
 観念されうる、という事と、ありうる、という事には無限の距離があって、その距離に対して非常に無自覚なんじゃないかと。つまりある部分においては学園生(業界用語)の立ち位置系的自意識が生んだ極めて個人的なイルージョンでしかありえないはずの階級構造の内実が確定的なものとして教師にまで周知されている、というその不自然さ或いはそれを自然であるかのように語る騙りのイデオロギッシュなありよう。図式的で荒唐無稽、と申し上げてもよろしおすか? それがリアリティを帯びているかに思えるのならば、そこにはイデオロギーの関与がある、というのは短絡ですかそうですか。
 「キョウハクDOG`s」にのみ関して言えばそこにあるのはねこバス亭のしゃあのやる事に間違いのあろうはずはあんめえ、という読者からの信頼だけどね。なお、二次創作ってのはイデオロギー空間内でのくねくねですからして、図式的で荒唐無稽である事、はむしろ歓迎されます。あそっかウチのボスの本てそれで売れてたんか。「帝王」で言えば対極にいるのはやっぱりどこぞの神伝奇で、ディティールと図式が裏切りあう緊張関係が作品に強度をもたらしている、と思います。
 じゃあ川上稔の場合どんなイデオロギーに?
 それがわからんからアレしとんじゃい!
痙攣的思考 | comments(4) | trackbacks(0)

スポンサーサイト

2005.08.23 Tuesday 06:44
- | - | -

コメント

 セカイ系に関して言えば、箱庭=身の回りとその外側=セカイが対立的に語られるものだと考えているので、単に箱庭が全てであるような作品(川上作品はまさにそうですよね)をそう言われると多少違和感があります。セカイ系ってのは頑張っても無駄、という感覚の話の事だと思いますが、川上稔ほどそういう感覚と縁遠い作家もいないと思います。
 西尾維新作品は、その箱庭-セカイの断絶感覚をは確かに有していると思います。セカイ系の定義にはポストエヴァが含まれますが、類似の感覚は新本格ミステリの多くに見られるものではあります。『密閉教室』とか。
 西尾維新が新しいとすれば、それは箱庭とセカイの間に「殺し名」であるとかの「荒唐無稽な世界観」を詰め込んだところではないでしょうか。
 セカイと箱庭の断絶の、通常のシャカイとは別の仕方での表現としてそれはあるわけで、これは世界認識の仕方としては真空の宇宙に旧神を詰め込んでしまうラブクラフトに似ている。この形象化が断絶感覚を消費し易くしているわけですが、旧神として形象化されてしまった深淵は、やっつける事ができなくはないわけです、無垢なる刃とかで。ここで、西尾作品はセカイ系からシャカイ系へと横滑りせざるを得なくなり、単に荒唐無稽に見えるようになる、というわけでしょう。
 川上稔の場合は端っからシャカイ系なので、西尾維新が今でも人気があるのとは比較できても、クビキリ・クビシメが売れた事情とは比較できないように思います。
| かおる | 2005/06/19 5:47 AM |
さっそく補足していただきありがとうございます。
エントリで挙げられている作品についてはすべて読破していますので、この補足で納得がいきました。そうですね、個人的な意見を言わせていただくならば川上稔作品に関してはリアリティがある、と思って読んだ事はないですね。
思想のぶつかり合いにしても、最終的にはお互いの落としどころが用意されていることを前提として読んでるので。セカイ系というか箱庭世界というのが自分の感覚では近いです。
それが世間一般に受け入れられる理由は、西尾維新のある意味荒唐無稽な世界観が広く支持されている理由とかぶるかもしれないですね。
超人バトルと狂言回し。
ただ、そこから先はまだ考えていません。ごめんなさい。
| 通りすがり | 2005/06/18 7:54 PM |
 このエントリに出てきた作品はどれくらいお読みでしょうか?
 とりあえず全部読んでいるものとしてお答えしておきます。
 テーマは川上稔作品は俺から見ると読んでて気恥ずかしくって仕方がないのに、どうしてあんなに支持されているのか、そして支持している層はどうしてあんなにも気恥ずかしさや違和感を川上作品に覚えていないように見えるのか、です。
 その事について考えるとっかかりとして、読んでいて俺が同じような気恥ずかしさを覚える「キョウハクDOG`s」について考えてみよう、と。そういうエントリです。
 「キョウハクDOG`s」の気恥ずかしさの源泉は、中高生が考え過ぎた挙句気に病みがちな学校の中での立ち位置の問題を、そんなものが何ほどの事でもないと知っていておかしくないはずの大人である教師までもが大問題であるかのように扱っているような、主人公の身の回りの世界が全てでその外側に世界があるようには感じられないにも関わらず大仰に「あなたの選択は」とか「最凶」とか言ってしまう夜郎自大感です。
 そのように夜郎自大なものが気恥ずかしくなく受け入れられるとはつまりどう言う事か。夜の闇をそうとは思わせないものとは何か。
 イデオロギー、という答えは決してそう突飛なものでもないとは思いますが。
| かおだっ | 2005/06/18 5:31 PM |
あのー、申し訳ないのですが正直なところ今日のエントリは何がテーマなのか、そもそも何を言いたいのかがさっぱり理解できませんでした。少し補足していただけるとありがたいんですが……。
| 通りすがり | 2005/06/18 1:48 PM |

コメントする










この記事のトラックバックURL

http://kaolu4s.jugem.jp/trackback/262

トラックバック