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四季折々のへんじゃぱ

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2005.08.23 Tuesday

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俺ってなんにも言ってねー

2004.10.02 Saturday 02:29
 シスプリ健全組問題。
 なんか既視感あるなあと思ったら、「マリみては健全のみですよ」宣言バナーですな。何処にでもあると言えば何処にでもある問題なのかしら。健全、て男女カプの事だったりするしなあ、や方面だと。
 ファン行為における体液分泌の特異性にこれは帰結せらるる問題だと思います。内分泌腺から外分泌腺への決死の跳躍。それは本質的に、テクスト内在的に正しくはない。テクストは内分泌腺に対する作用体でありますれば、基本的に。参考。身体性って言葉がいかがわしくて使えません、どうでもいいけど。正しくはないとしたところでそれは別に正しくないだけで悪いわけではまったくなく、正しさそれ自体の限界に封じ込められた正しいだけの言説を超克する契機がそこにないとは限らない、というのがつまりエロ同人を読む醍醐味です。であると同時に、正しくないものはやはり正しくないのであって、その正しくなさが一切批判されるべきではない、というのもそれはそれでおかしな話なのであって、それはむしろ批判されてナンボであるべきだと思います。平たく言えば批判が怖くてエロ妄想ができるものかよ、と言う事です。あんまり本題と関係ない、いつもの事ながら。決死の跳躍としての自慰の話はなんかよさげな電波だとは思いつつ考え切れてないのでとっちらかっててごめんなさい。
 いや、特に言いたい事はないというかどちらの主張も一理あるだけに難しいねというか、個人的にはエロは嫌がる人もいるからねえ、と言う点でエロじゃないサイトがまとめて紹介してあるのは便利なんじゃないの、とは思います。近きシスプリのエロ同人誌は買うけどエロCGには別段興味はないなあなヤシをたづねば、薫らも侍るは。どぶねずみみたいに誰よりもやさしくどぶねずみみたいに何よりもあたたかく。LINDAはもう二歩で大好きと断言できるのになあ。
 同人エロゲーのシナリオは書くはやたらにエロゲーの話はするはファックってかなりな頻度で口走るはでどう考えたって登録されようはずもない以前にそもそもシスプリサイトの結構が整ってないわけだけれど、昔書き殴った佐々木さんSS(HR注意)は18禁に当たるのだろうか、とか疑問に思って見たりしました。
 余談ながら「何かを賞賛して大きくなったサイトはいくらでもあるが、何かを批判して大きくなったサイトはない」という言葉はステキだと思いました。惜しむらくは、それが嘘だと言う事(侍魂は先行者を賞賛したとは到底言えないし、ちゆ12歳のネタに対する冷笑的な距離感は批判の名にこそふさわしいでしょう、例えば)。
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2005.08.23 Tuesday 02:29
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コメント

ショートコメント
| キーE璽 | 2008/08/05 8:41 AM |
罵倒するのではなく嘲笑するのだ、という意味ではなるほど違うでしょうね。
どのみち批判と言っていいのではないでしょうか。

まあ嘲笑系を批判するということから外しても、嫌韓系のサイトとかフツーにでかいとこありますよね。非モテ系とかも。
いい言葉だけれど嘘だ、という大筋にかわりはないんじゃないですかね。
| かおる | 2007/03/14 4:57 AM |
>「何かを賞賛して大きくなったサイトはいくらでもあるが、何かを批判して大きくなったサイトはない」という言葉はステキだと思いました。惜しむらくは、それが嘘だと言う事(侍魂は先行者を賞賛したとは到底言えないし、ちゆ12歳のネタに対する冷笑的な距離感は批判の名にこそふさわしいでしょう、例えば)。


『ネタにする』ということと、
『批判する』ということの区別くらいつけなさい。
読解力のなさがみっともないですよ。
| やまだ | 2007/03/11 10:55 PM |
 いえいえ、kagamiさんが不勉強なら俺は負勉強になってしまいますよ。
 俺もクリプキは読まなきゃ読まなきゃと思いつつ延び延びになっていて、柄谷、浅田彰あたりに依拠しているようないないようないい加減な物言いになってまして。
 相当危うげな意見として上手い事できてるな、と自分で思ってしまったという程度なのです、跳躍としての自慰云々は。
 つまり、ディスクールの此岸=内分泌腺、ディスクールの彼岸=外分泌腺という隠喩的重ね合わせですねって書いた時点でもう隠喩じゃないわけですが。
 非知的ありようそのものは18禁ゲームにあるのではなく、それをやって抜いたり泣いたりする行為の中にこそあるのではないか、と言うのが俺の立場です。感動系とエロエロ系が同質だ、という意味ではkagamiさんに同意するものですがこの辺では俺とkagamiさんの立場は異なってくるのでしょうし、そして二次創作(ある意味、自慰の記録であるわけです)を巡るのか一次創作を巡るのかという事態の違いもまたこの辺にあらわれるのかな、と。
| かおる | 2004/10/04 8:59 PM |
申し訳ありません、下記の
2004/10/04 6:19 PM
の投稿は私です。
名前入れ忘れちゃいました(^^;
| kagami | 2004/10/04 6:21 PM |
えっと、夏葉さんの提唱された決死の跳躍というのはクリプキのが提唱した跳躍概念と基礎的に同一と考えてよろしいのでしょうか…。
http://homepage3.nifty.com/sakuraiyoshio/kisyou.htm
あまりクリプキは読んでいなくて(^^;
(不勉強で申し訳ないです)
私の暗闇の跳躍的概念についての思考は柄谷の探求とウィトの解説書を数冊読んで自分で考えたくらいのレベルなので、テクスト内在的というのを上手く掴めなくて…申し訳ないです(^^;
バルトあたりはテクストが内在するというそのモノ自体を退けて、エクリチュールの戯れとしての無限の遊戯性に融解するという形で考えていたと私は理解しているのですが、私もどちらかというとその立場、更に進めて、ディスクールを破壊する非知的あり方としてのエロティシズムを18禁ゲームに見ていて、そこで云えば、鍵系の感動とエロ系のエロスはどちらもディスクールの彼岸の地平としては同一的価値があるのに、そこで感動を理性の側に持ってきて、エロスを廃棄しようとするのは、まさにその地平を否定する冒涜的振るまいに思えて反発したというのがありますね…。
勿論、ノン-サヴォワールな地平そのものがイデアル化しているという批判は受けねばならないと思いますが、ニヒリズムに陥ることなく、ある種の目標的に行為するには、どうしてもイデアルと反・イデアルの侵犯関係がそこに励起してきてしまう、これは、やはり、いかんともしがたいように、感じます…。

夏葉さんが仰る通り、
「健康を損なわない範囲でならば、闘争の裡に身を置く事は心身を練磨する最良の環境ではある、というあたりに希望を見出す」
という、フォルス的なものこそが、ギリシア的な最善の意志なのかと、思います…。そうすると、闘争は逃れられませんが、
以下、ニーチェが言うように、闘争こそが、幸せに結びついていることは、否定できませんしね…。
「幸福とは何か?――ふたたび力が増大してきたという感情、
――ふたたび抵抗が克服されたという感情。
満足ではなく、より多くの力。平和ではなく、より多くの闘争」
(ニーチェ「残された断想、1980年15−120)
| | 2004/10/04 6:19 PM |
 まあ、健康を損なわない範囲でならば、闘争の裡に身を置く事は心身を練磨する最良の環境ではある、というあたりに希望を見出す一手ですかね、基本は。
 原作が18禁のKEY作品と原作が一般向けのシスプリでは問題が微妙に違う気はします。というか、kagamiさんが守ろうとしたのは「エロエロなエロゲーもきちんと評価される世界」であって「鍵ゲーがエロエロである事」ではないですよね。現実として「鍵ゲーはエロエロでない」のでありかつ「エロエロなゲームはやや見下されがち」だったのだろうと当時の事は良く知らないなりに推測しますが、kagamiさんはそこでイデアルな「エロエロなエロゲーもきちんと評価される世界」のために戦ったのだと理解しています。
 今回エティエンヌさんは現実の側、「シスプリはエロエロではない」に立ってイデアルなものからの侵略に抗していこう、という立場です。ダイナミズムには欠けるものの、まっとうな立場とまずは言えます。俺がitoさんとの論争(というほどのものでもなかったなあ)で立った場所でもあります。
 人間、気が向けばオタキモいんだよ全員氏ねよ俺以外、くらいの事は書くものです。そういうちょっとした暴言の問題とエロとか嫌がる人いるから気をつけようよ、というエティエンヌさんの提言はレベルの違うお話で、前者はドブネズミ呼ばわりくらい日常茶飯事の俺様から見ればむしろぬるいという話ですし、後者は単純にもっともな話です。
 であればこそ、エティエンヌさんへの感情的な非難はありえてもそれは闘争へと組織されるような類のものでは現時点ではないように思います。それをオルガナイズしよう、というような策謀をこそむしろ警戒すべきでしょうね。ただのちょっと気をつけようよ、という程度の提言をイデオロギー的な攻撃とみなさせるような。
 書き捨て上等のWWWで礼法を云々する人って、そういやよくわかりません。ていうか、ならお前ら俺ンとこ来いよっつーか。

 それはそうと公開した文章をどのように取り上げどのようにコメントされたとしてもそれは俺がああだこうだ言う筋合いではないんですが、俺は別にエティエンヌさんと戦う気もあまりない、というか俺にとってもあのリンク集はそこそこ便利だったりしちゃうので、決死の跳躍としての自慰、というアイデアの評価の方を正直お窺いしたいっす。
 俺は非エロ原作のエロ二次創作をそのような跳躍として、その飛距離とフォームを楽しむために買っているわけでして、である以上その踏み切られる大地にはある程度の堅固な姿が欲しかったりします。
 実の所いつかのおお振りの騒動って多分そういうあたりの問題だったんじゃないかと思ってるんですが。
| かおる | 2004/10/02 11:23 PM |
個々の問題的に対応するのは、鍵時代にやり尽くしたという
形なので、どうしても構造的なものに注意がいくのですが、
その、なんといいますか、
へんじゃぱさんも自サイトで取り上げさせて頂いたのですが、
『人間は宿命的に戦いから逃れられない』
という行き詰まった思いが胸を暗澹とさせずにはいられません。

力への意志的には、常に戦い続けることこそが、
生として強い(肯定的)あり方なのかも知れませんが…

それでも、何か、酷く絶望的なものを感じます…。

私が戦ってきた連中も、エロは悪であり、己は正義を
貫いていると考えていたのでしょうし、
私もまた上記のような考え方は認められない、
そしてこういったイデアルな理念によるイデオロギッシュな
闘争から人は逃れられない、なぜならば、イデアルな理念
こそが人間を人間ならしめているから、
この、戦いの輪廻から、人は決して逃れられないのでしょうか…

やはり、絶望的な気持ちにならざるを得ません…。
夏葉さんは、何か、この輪廻から逃れる方法は
あると思われますでしょうか?
| kagami | 2004/10/02 9:38 AM |
 逆に言うとヘーゲルが当たり前なことしか言ってないって意味でもあります。無論、このように切り出された形では、ですが。
 本文でも書きましたが、否定される必然性は少なくともシスプリやマリみてでならばありうるわけです。あとは理論の問題ではなく実践の問題なのでして、つまり自慰の。
 エロ同人オカズ目的では買ってない俺が言うのもなんですが。
| かおる | 2004/10/02 8:42 AM |
ヘーゲルの歴史認識の正しさを思わずにはいられませんね。
私はKEYのプラトニック至上主義派(18禁KEY同人や18禁
シーン、18禁ゲームを否定する)とずっと戦ってきたので、
自然と口がこう呟いておりました…。

「歴史は二度繰り返す。
一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」
| kagami | 2004/10/02 7:38 AM |

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